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	<title>多文化  |  ぼちぼちブログ</title>
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		<title>外国にルーツのある子どもにどう向き合うか</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ほるもんT]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 23 Nov 2020 20:36:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[教育]]></category>
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<p>最近、外国ルーツの子どもたちの教育を考える研究団体（公立学校の教職員が参加、半官半民）に頼まれてこんな感じのテーマで話題提供をしました。各学校園の代表が集まる中一年間の実践を振り返るきっかけにしたいということでした。そのときに話したことを書いておこうと思います。</p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">自己紹介</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">自分の「韓国」に全く触れられなかった小学校時代</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">今の時代も肯定的な関わりが必要</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">何もしなければ、否定的な関わりがけっこうある</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">先生はどんな立ち位置で子どもに関わるか</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">自己紹介</span></h2>
<p>私の父は韓国、母は長崎です。父も日本生まれで私の祖父祖母が日本にやってきました。祖母が日本にきたのはあかちゃんのときと聞いているので、ほぼ日本生まれですが。家族はいわゆる日本名を使っておりましたので、今は韓国の名前を使っていますが、高校卒業までは日本の名前を使っていました。今日は、私の小学校のときのこと、今日本語指導担当として関わっている子どもたちのことなどをお話し、ふりかえるきっかけとしてもらえたらと思います。</p>
<h2><span id="toc2">自分の「韓国」に全く触れられなかった小学校時代</span></h2>
<p>私は幼稚園からずっと日本の公立の施設で学びました。で、教員養成系の大学を経て現在の仕事についています。小、中の先生たちはおおむねよい先生で、それなりに楽しい学校生活をすごせたなあと思っています。ただ、一つ今になって残念だと思うのは、私の「韓国」に触れてきた先生は一人もいないということです。小学校高学年くらいからは「バレたらあかん」とあえて隠して来たので友だちがそこの触れてくることもありません。<br />
ただ一人、そこに触れてきた大人がいます。塾の先生です。その先生は「先生は学校と医者だけでええねん。おれは先生じゃない」と言って、自分のことを「親分」と呼ばせているようなちょっと個性的な人でした。中学校のときのある夏休みにわたしは民族団体主催のサマースクールに参加することになりました。そのため、塾を休まなければならなくなったのです。適当に「家の用事」とでも言っとけばよかったのですが、なぜか、そのときはそのことを正直に話していました。親分は「おお、それはええ。ぜひともそっちに行かなあかん」というようなことを言ってくれました。<br />
サマースクール後最初の塾の日の何日か前に親分から電話がかかってきました。「次の時、３０分くらい早めに来い」何だろうか？と思いつつ行くと、「なあ、韓国語でおはようってなんていうねん」ときました。なんかおこられるのかなあと思っていた私は拍子抜け。でも、なんか心の中にあったかいものこみ上げてくる感じになりました。とっても無愛想に「あんにょんはしむにか」と答えました。「ほうほう、こんにちはは？」「おんなじ。あんにょんはしむにか。ぜんぶ一緒でええねん」これもさらに無愛想になりました。なりながら、少し涙が出ていました。うれしかったんですよね。<br />
親分は私が教員としてのあり方を考えるときのモデルの一人です。</p>
<h2><span id="toc3">今の時代も肯定的な関わりが必要</span></h2>
<p>今、私が関わっている子どもたちも同じだなと思うことが多くあります。その子どものルーツに絡んでいくと、とてもいきいきとしてくるんです。<br />
例えば、転入してきた当初は自分のルーツをかくさなあかんなあと思っていたAさんは、友だちに「外国にルーツあるん？」ととっても自然に聴かれたことで、「あ、かくさんでいいんか」と思ったそうです。その後、民族クラブという外国ルーツの子どもがその文化について触れることができる課外の活動にも担当教師からの働きかけで加入します。とてもいきいき活動しています。<br />
低学年のBさんは民族クラブに加入したはいいけど、なかなか自分のルーツに関わる文化の活動がなくて、「もう行きたくない」と言い始めます。担当の教員から「今後、あなたのくにのあいさつをするときにみんなのお手本してほしい」と伝えると表情がぱっと変わりました。毎週の活動をとても楽しみにしています。<br />
日本語指導で漢字の学習をしているときに、よくその子どもの母語（母国語？）でどういうのかを書ける子には「書いてよ」と言ったりします。ことばを勉強するときに、煮詰まってくると日本語の言葉を伝えながら、「◯◯語教えてよ」と言って教えてもらいます。子どもはとてもいい顔になります。<br />
こんな体験をもとに、私は今外国ルーツの子どもたちと関わっています。</p>
<h2><span id="toc4">何もしなければ、否定的な関わりがけっこうある</span></h2>
<p>はじめに書いたように私の子ども時代に、私の韓国に関わってきた学校の先生はいませんでした。一方で、子どもの間や社会においては、直接ではないですが、私の韓国の部分に否定的に刺さってくることがいろいろとあるわけです。例えば、朝鮮学校のバスを朝から見て気分が悪いと言う友だち。私がコリアンだと認識していない中、私もいる友だちの輪の中で話します。家でうわさの刑事トミーとマツを見ていて、「おれも警察官になりたい！」という私に、「朝鮮人が警察なんかなれるわけないやろ」という親のことば。そんな中で育つと、国語の授業の中の「挑戦」ということばにさえドキドキするようになっていました。<br />
今の子どもたちが生活している状況もあまりかわりません。というか、もっとひどくなっているかもと思うときがあります。いや、二極化？ヘイトスピーチが表舞台に姿を表してきているし、子どもの間でも、口喧嘩になるといまだに「◯◯に帰れ」ということばも出てくることがあります。ルーツのちがいが揶揄の対象になっているわけです。</p>
<h2><span id="toc5">先生はどんな立ち位置で子どもに関わるか</span></h2>
<p>私にとって「親分」の存在はとても大きいです。他にも高校では私を朝鮮文化研究会に勧誘をする先輩の裏で暗躍？！する先生（日本ルーツ）の存在。民族団体のおにいさんたち。「キムチと牛乳がめっちゃ合うねん！」とニコニコしている高校のときの友だち。<br />
同じ立場の人との関わりもありましたが、振り返ってみると、韓国を肯定的にとらえる日本人との関わりが私の心を温めてくれていたなあと思うわけです。<br />
学校の先生は子どもたちにとっては「たかが、されど」の存在だと思います。外国ルーツの子どもたちにとって、「されど」の存在になるには、意識的に肯定的な関わりをしていくことが必要ではないかなあと思うのです。<br />
自分の学校に外国ルーツの子どもがいるのなら、ちょっとその国の料理を食べに言ったりして、その子に「こないだ◯◯料理食べに行ったで」とはなしかけてみてほしいです。食文化が残っていなかったりして空振りするときもあるかもしれないけど、そこはトライアンドエラー、次はちがうもので。文化があまり残っていない家庭なら、いっしょに勉強するのもいいかもしれません。<br />
これらのことは、その子のルーツと違うルーツの先生がすることのほうが、よりうれしいと思います。<br />
最後にお伝えしたのは、こういったことを「その子どものため」ではなく、「自分がどんな日本社会をつくりたいか」という観点で実践するということです。先生はとかく「子どもたちのために」と言いがちです。大切なのは、自分の生き方ともリンクしているということ、リンクさせて考えるということかなあと思います。</p>
</div>
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