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学校体育は何をめざすところなのか。それがずれているから、起きてしまった事故。

教育カテゴリ 教育
危険な飛び込み指示し生徒大けが 都立高校教諭に罰金100万円 | NHKニュース
【NHK】5年前、都立高校の水泳の授業中に飛び込みを指示し、生徒に大けがをさせたとして、業務上過失傷害の罪に問われた教諭に対し、東…

日本の公立学校の体育教育のあり方について、いろいろ考えました。ぼくは小学校ですが、今まで体育でやっていたことが、少しつながるのではないかと思って、記事を書こうと思います。雑感的なものなので、なにか根拠がはっきりとしているわけではありません。

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記事を読んで「つながる」って思ったこと、そして、けっこう実践されているだろうこと。

デッキブラシを越えてプールに飛び込むよう指示し

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211122/k10013357701000.html

ここがポイントです。きちんとは調べていないのですが、想像するに、飛び込みの姿勢や入水の角度を指導するにあたって、目安となるものを使って「こうすれば、自然と正しい飛び込みになる」ということをしたかったのではないかと思うのです。小学校でもこんな感じの指導法はけっこうあって、うまくいけば、課題をクリアできたりして、子どもにも達成感があるわけです。もちろん、その方法の安全性が問われているわけで、そこに教員は専門性を持ってのぞまないといけないのはそうなのですが。

小学校では、よく、とびばこの前の方3分の1あたりにガムテープなどを貼って、「これより前に手をつく」ように指導したりします。こうすることで、自然と体が前傾姿勢になって、とびばこをとびこえられたりするのです。子どもも「やったあ!」となったりします。

でも、結局は、怖いからそれができなくて、無理にやろうとすると、からだが縮んでしまう。先生との信頼関係があればあるほど、信じ切って思い切りやってしまう。でも、体の機能や神経系の発達や、もろもろ追いついていなくて、マットに顔からとびこんでしまうみたいなことが起きてしまわないだろうか。最近の子どもはこけたときに、とっさに手をだせないみたいな話も聞いたことがあります。

なぜこんなことが起きたのか。

「飛び込みできること」が評価の基準にあって、それをすることは疑いのないことだという状況。生徒にとってもそれが良いことなんだと考えているかはおいといて、きょういんの仕事はそれをできるようにすること。そんなマインドがあります。

あまり考えずに、まず「どうすればできるようになるか」を考えてしまう。これが1つ目の原因。

なら、専門性をしっかり学んで安全なやり方ですることも仕事でしょとなります。全くそのとおり。でも、それができなかったのはなぜか。それをできる環境がないのです。
小学校で言えば、さきほどのテープをはる方法は、その意味や気をつけることより先に、その方法だけがどんどんと広まるわけです。なぜかって?全員がその専門性について学んでいられないからです。

図工・体育・国語・家庭科・・・。最近専科進んでいるとはいえ、まだまだです。家庭科は担任というところも多いですし、専科の先生も20時間/週の非常勤の先生だったりもします。専科になれば、そこから「専門性」を深めることができますが、担任をしている間は、どれだけの専門性を深めないといかんのか???という状況です。

もちろん、安全性は必ず担保しなければならないというのが前提にはありますし、そういうことをいつも考えています。でも、今回の例でもそうですが、「これいいよ!」という方法は、得てして、そのあたり抜きにどんどんひろまってしまうことも多いです。

もう一つは、体育に「競技」性が求められすぎているところです。高校野球なんかもそうですが、日本の学校では体育において研究されがちなのが、その技術をどうたかめるかっていうところです。だから、デッキブラシを超えて飛び込みの練習するし、跳び箱にガムテープはるわけです。そもそも、それをできるようになることがそんなに大事か?って話です。

専門家招聘して、専門的に指導してくれるあ、あるいは、各教科全く専科にして、それぞれの専門療育を深める時間を保証するかそれくらいするのなら、今やっているようなこともできるかもしれませんが。ただ、そもそも、指導要領では「生涯スポーツを楽しむ」という観点が最も重要視されているはずなのですが、現場がそうはなっていないというのも、改善の余地ありです。

学校での体育では何をめざすのか

そもそも、跳び箱飛べたら?飛び込みできたらどうなの?って考えるマインドがないから「これいいよ!」っていうものに飛びついてしまいます。自分で1つひとつ研究する時間なんて与えられていませんから。朝勤務時間前から子どもがやってきて、15:30ごろまで授業をして、その後、16:30くらいまで、課題をクリアできていない子ども残して、その後はもろもろ事務仕事をして・・・。教材研究の時間なんてほんのわずかです。

こんなシステムの中で、一つひとつの専門性なんて言われても・・・という状況なわけです。これは間違いなくシステムの問題です。でも、最終的には、教員個人に責任はかかってくる。

じゃあ、なんでこういう飛び込みとかとびばことかが残っているの?そこには日本の学校教育の中にあるなにかがあるわけです。「がんばって何かを成し遂げること」を「成し遂げさせる」みたいなところです。何かを成し遂げるのは本人であって、「成し遂げさせる」ことは大切なのか?もちろん、それをきっかけにステップアップする子どももいますが。

でも、学校でいろいろな子どもが一緒にやる体育では、体を動かすことを楽しむ」これ一点にしぼって、1人でどう楽しむか、みんなでどう楽しむか、みたいなところを追求するのがいいのではないかなと思うわけです。そんな中で、なんかちょっと体動くようになったぜっていうところ、これが一番大事で、「させられる」を最大限、取り除きたいなというところです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!
ちょっとさくっと書きなぐっただけの記事です。自分の記録としての意味が大きいので、読みにくかったと思います。
発信の軸がまだぶれぶれなので、末永くお付き合いください。

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